読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

社会性昆虫と血縁選択説

 

利己的な遺伝子 <増補新装版>

利己的な遺伝子 <増補新装版>

 

 はい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドーキンス読んだだけのニワカ知識なので気になった人間は原著を読め。

 f:id:quf:20161209151840j:plain

 

目次

  1. イントロ
  2. 社会性昆虫の生態
  3. 血縁選択説
  4. 膜翅目における血縁選択説

 

イントロ

社会性昆虫という動物がいる。繁殖のみを行う女王個体と、不妊のワーカーによって1つのコロニーを形成する昆虫の総称だ。これらの種は一般的な生物理解からあまりにもかけ離れたものに見える。自らは子孫を残せないワーカーが、女王の子孫を甲斐甲斐しく世話する姿はともすれば奴隷的で、ワーカーはまったく非合理的な行動をしているようにしか見えない。かのダーウィンでさえも説明に困ったほどだ。社会性昆虫が不可解なのは、それらが我々の”生物は自らの子孫を残すことを究極の目的としている”という生物理解に完全に反しているからだ。しかし、間違っているのは本当にワーカーなのだろうか?本稿では進化生物学の一端を紹介し、新たな生物理解の視点を提供する。

 

 社会性昆虫の生態

社会性昆虫の一生とはコロニーの一生であり、コロニーの一生とは(概ね)女王個体の一生である。女王個体は、繁殖期に結婚飛行を行い数匹の雄と交尾し、その後は巣にこもり一生を産卵に費やす。ワーカーは原則として全て雌である。

www.antroom.jp

なお社会性昆虫の多くは膜翅目(ハチ目)で、ゴキブリ目のシロアリがほぼ唯一の例外である。

 

 血縁選択説

 さて、なぜワーカーはコロニーのために働くのか?その疑問に答えるのがハミルトンの血縁選択説である。血縁選択説とは、ある個体の繁殖成功率だけでなく、その個体が遺伝子を共有する血縁個体の繁殖成功率も考慮に入れ、それらの合計が最大になるような性質が進化のなかで獲得されていくというものである。もちろん自身の繫殖成功率と血縁個体のそれが等価に扱われるわけではなく、ある個体にとっての血縁個体の繫殖成功率はその血縁個体との血縁度(近縁度)によって割り引かれる。

血縁度

血縁度とは、個体間の遺伝子の共有度合いのことである。例として人間のような2倍体の生物が有性生殖をする場合を考える。ある個体(赤色の親)が遺伝子Aをヘテロ接合で持っている時、

f:id:quf:20161209153338j:plain

 子が遺伝子Aを持つ確率は1/2なので、親からみた子の血縁度は1/2となる。説明がめんどくさくなってきたのでWikipediaを投げる

 

膜翅目における血縁選択説

 さて膜翅目は人間のような2倍性ではなく、半倍数性である。半倍数性とは、未受精卵はすべて雄となり、受精卵はすべて雌となるといったような性決定のシステムである。Wikipedia読め

この時、ある個体の性と血縁個体に対する近縁度は以下の通り。

 

 姉妹兄弟息子甥または姪
1/2 1/2 3/4 1/4 1/2 1/2 3/8
1 0 1/2 1/2 0 1 1/4

 

この場合、ワーカーが血縁選択的に繁殖成功率を最も高める行動は何だろうか?

 

ワーカーはすべて雌で、かつ受精のチャンスがないため、もしワーカーが子供を産むとしたらそれらはすべて息子になると考えられる。よってワーカーが自身で子供を産む場合、血縁度1/2の子孫を残すことになる。

 

 女王の子孫を育てる場合はどうだろうか。女王の子孫はワーカーにとって兄弟あるいは姉妹であるため、ワーカーに対する血縁度はそれぞれ1/4,3/4となる。姉妹のワーカーに対する血縁度3/4はワーカーが自身で子孫を残す場合よりも高いため、女王が雌雄比1:1より雌を多く産むならワーカーは女王に子孫を産ませることがより繁殖成功率を高めることになる。

 

では実際にはどうなっているのだろうか。

 もし性比(厳密には、投資量でみた性投資比)が1:1ならば、雌からみた弟妹の平均血縁度は0.5となり、2倍体生物のものと変わらない。トリヴァースとヘアはこの点に着目し、もし真社会性がワーカーの包括適応度を最大化するものであるならば、ワーカーは性投資比を操作し、繁殖個体への性投資比は雄1に対し雌3となるはずだと予測した。彼らは多数の単女王性のアリについてデータを集め、このことを支持するデータを得た。

血縁選択説 - Wikipedia (2016年4月2日 (土) 10:19 )

 よかったですね。

 

女王個体が単婚でない場合や、半倍数性でない社会性昆虫のシロアリの話はまた今度。